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山あり谷あり

「百害あって一利なしと言うけど、文化は悪徳が高い分、深い。人類が発明した偉大な文化であり、たばこの代わりはありませんよ。これを知らずに人生を終わる人を思うと、何とものっぺらぼうで、気の毒な気がしますね」(筑紫哲也氏談)

なるほどなるほど、面白い話だ。
私は煙草を吸うことはしないので、この意見に賛同とはいかないものの、ふむふむ、とぼんやりながら納得できる。

私の通っていた某美術大学での記憶のほとんどは、食堂やシスコと呼ばれるカフェテリア(正式名称はサンフランシスコではなかったか)で過ごした時間。授業の合間、授業が終わってから夜が更けドアが閉ざされるまで友人と下らない話や、課題制作に当たっての意見の交換、何だか熱い精神論、とにかくたくさんの時間を過ごした場所。
その場所の記憶は煙草の煙で常に霞み掛かっている。
本当に喫煙率の高い場所だったように思う。

そんな中で煙草を吸わない私にはいつも考えていることがあった。
煙草を吸う人たちはふとしたゆとりや楽しみの時間を知っているのではないか。
課題やら仕事やらはたまた日々の生活の営みやらできりきりまいのさなかにも、自らゆとりの時間を生み出す術を知っているのではないか。
そして、煙草を吸うスタイルに持論や美学のある友人の話を聞いたり、そんな内容の文章を読んでは煙草そのもの、というよりもそれを吸っている間のその時間やその時間を過ごす間の精神に興味が湧いたものだった。
もちろん煙草を嗜む人全てが煙草への美学を持っていたり、その時間を愉しんでいるわけではないと思う。ましてや中毒性のあるものなだけに、ただ習慣として吸っていたり、無意識の動作として続いているだけのものであったり、止めたいと思いつつ止められない、という人もたくさんいるだろう。

食後の一服の時間を楽しむ人々、一日の中に何度か喫煙休憩をとりにゆく人、ひと仕事終えて深い一服を満喫している人。
特に時間に追われていたり、精神的に追い込まれている時にあえてひと息の時間を作るのは、煙草を吸わない者には容易ではなかったりもする。そんな時にふと煙草を嗜む人々のことを思い浮かべる。煙草は必要なくとも、あのような時間は、空間は必要なのではないか。そんな時にこそ、無理矢理にでもひと息つく気分転換が必要ではないか。

そう思うようになってから何年も経って、ようやくそんな時間が自分にも身に付いてきて、この言葉を読んで様々なことが頭をよぎる。

「文化は悪徳が高い分、深い」

煙草だけでなく、いろんなことに、場面に当てはまる言葉だな、と思う。
面倒くさがりで怠惰な私だけれども、茨の道を好む傾向にあるな、と思う。
そして、悪に手を染めることはしないけれど、染みひとつないようなそんなクリーンな人生は送りたくない、と思う。送らない、と思う。

たくさんの経験が、思いが、人の奥行きを創るのだな、と実感する。

予定は未定



今日は朝からやりたいことの予定をいっぱい立てていました。
お天気もいいし、気持ちいいしな、なんて。

そこへ、愛らしいギャングたちのお出ましです。
本当にすっかり慣れてしまって、ソファで寛ぐ人の腰などによじよじ登ってきたりするものですからたまらない愛らしさ。すっかり骨抜きとなり、全ての予定をすっ飛ばして日だまりの中で微睡んでしまいました。
膝に乗せた黒い毛玉を見ていたら、気づいた時には私もうたた寝。
これじゃあ、ばあちゃんじゃないか。

しばらく紐などで遊んだ結果、疲れた仔猫たちは眠ってしまいました。
しかし仔猫のはずがその寝姿は疲れたおじさんの様でもあります。


鳥獣戯画がやってきた!

東京ミッドタウン サントリー美術館へ「開館記念特別展 鳥獣戯画がやってきた!―国宝『鳥獣人物戯画絵巻』の全貌」を友人と観に行ってきました。
休みの前日だからか、ずいぶんたくさんの人がきていました。
長ーい列に並んで巻物を観てゆきます。

私が初めて模写した絵はなんと、この鳥獣戯画でした。
実のところ、この絵の背景など詳しいことは何も知らなかったのだけれど・・・
甲乙丙丁の4巻からなるこの鳥獣戯画。私が特に心躍ったのは甲・乙巻の2巻。
まるで線そのものが動き出しそうな、そこに描かれている動物たちが生きているかのような、生き生きとした描写に目が釘付けになります。
波の描写や草木1つをとってもそれは素晴らしく、長い絵巻に目を飽きさせる部分はありません。せっかく本物を間近で観られる機会なので、興味のある方はぜひ観に行ってみてください。

その後、友人たちとミッドタウン内の「浅野屋」へ。



ほんの何メートルの距離でも、外に出たとたん冷たい風が頬を刺すようです。
こんな寒い日はスープが、などと思うも今日は残念ながらスープはありませんでした。
皆でスペインの赤ワインをいただき、焼きたてのピザを食べればからだもホカホカ。
そして一番のおかずである会話はつきません。
たくさん笑って笑って顔や喉の筋肉もだいぶ刺激された感じ。
デザートまでいただき、気分もお腹も大満足。



お会計をしにレジへ。
そこにはかつて見たことのない長さのレシート!



きっと売り上げ計算をしていたのでしょうね。
ああ、びっくりした。
それにしても楽しい夜を過ごしました。友人たちに感謝です。今日もありがとう。

寒い寒い六本木からお家に帰るまでに凍えたからだを一瞬で暖めてくれるのは子猫たちのこの姿。それにしても今日は寒かったからか、2匹もぴったりくっついています。

ターリー



夕食は玄米とダルカレー。
気分を盛り上げるためにターリー風に盛りつけて楽しみました。
最近うちの食卓に良く登場するもち玄米入りの玄米。モチモチで美味しいです。
食べ切れず、残してしまったので明日もターリーですが・・・

最近インドに行きたい熱が高いせいか、インドを旅した時のことをよく思い出します。
ベジタリアンメニューの豊富さ(当たり前ですが)、そしてその美味しさ。
すごいなぁ、と感心したことを思い出します。

サーカス

最近、自分が旅に出るときに候補に挙がる数々の街、国。
その中にアメリカはハワイ以外含まれることがずいぶん長い間なかったような。
何となく、自分の最近の気分とは違っているように感じていたから。
そうは言っても、私の知っているアメリカは、ほんの一部分でそれも表層部。
私の訪れたことのある都市なんて、両手の指で数えられるくらい。
長く滞在したことはあっても暮らしたことはないし、きっとそこで暮らした人とは街の印象も違うだろうと思うのです。

なんで急にそんなことを思ったかというと、大切な友人2人がアメリカに住むことになったから。それでふっと頭に浮かんで来たのが過去の自分のアメリカへの旅。

私にとっての初めてのアメリカ、ポートランド。そこからの車の旅で訪れたシアトル。
それは私にとっては2度目の海外で、目に入る様々なことが新鮮で刺激的でとても印象深かったもの。確か、高校卒業後すぐの18歳。
空港に到着後すぐに叔母に連れて行ってもらったミートローフの美味しいかわいらしい街のレストラン。私にとって初めてのレバノン料理のレストラン。アメリカのハイウェイ。そして車の旅の途中立ち寄ったB&B。
初めての海外だったパリも友人の家に泊まっていたし、それ以外は国内の旅館やホテルくらいしか知らない私には、かわいらしいインテリアのB&B、しかも独り部屋で泊まるという経験はとても心が躍るもの。今でもはっきり思い出すのは、一面蝶々の壁紙にデコラティブな天蓋ベッド、ガラスで仕切られたシャワーブース。そして切妻屋根にそこについた天窓。日本の自分の部屋とは全く違うそのインテリアになかなか眠らずベッドから眺めていた記憶があります。

そして、叔母が住んでいることもありこれまでも毎年のように通っているハワイ。
初めてのハワイはハワイ島。大きな火山や綺麗な海、溶岩に囲まれた道路。思い切り心身共にのびのびとした記憶の大きな自然。その後立ち寄ったオアフ島の賑やかさにびっくりしつつ、海やホテル群やお買い物を楽しみました。
行く度に心がつやつやするあの感覚。独りで行っても誰かと行っても同じように心が軽くなって戻ってくるような、身体の隅々まで酸素が行き渡っているような独特の感覚。
あのぬるく気持ちのいい風が大好きで、時々無性に恋しくなります。

その後訪れたオーランド。メキシコに行ったあとに寄ったオーランドではディズニーワールドに行ったものです。印象に残ったことは、たくさんの老人や身体にハンディキャップのある人たちが楽しげに働いていたこと。おそらく知的障害のある若い男性が素晴らしいピアノの演奏を披露していたこと。これから演奏する演目を誇らしそうに伝える彼とそれには無関心にジャンクフードを食べ続ける周りの人々。その情景を思い出すとなぜだか胸がいっぱいになり涙がほろりと出て来ます。

大学の課題制作の時期、世界の肌色鉛筆というものの存在を聞いて(日本以外には『肌色』は存在しないそうです)コンセプトを掘り下げているときに訪れたニューヨーク。
10月なのに雪が降りあわててコートを買った記憶。メジャーリーグのニューヨーク対決の結果メッツが優勝、その優勝パレード。そしてハロウィンのパレードの面白い人々。本当にいろんな人がいる街、というのを目の当たりにした日々。
そんな中、どうしても訪れたかったのはホイットニー美術館。アレクサンダー・カルダーの「サーカス」。大好きなこの作品を実際に見ることが出来ると興奮して小走りで美術館に向かいました。夢中で作品を観る私の邪魔をする一人の男性も作品とともに印象に残っているなぁ。

ロス・ラスベガス旅行はまるで珍道中。何を思い出しても笑いがこぼれます。
砂漠の中に浮かぶキラキラのストリップ。全てが大きいので遠近感がよくわからず、歩いても歩いても目指す場所に辿り着かないそんな記憶です。何よりもそのあとに訪れたグランドキャニオンの雄大さ、赤い岩々、そこを吹く強い風。その大きさに感動しました。例に漏れず、風に煽られランチプレートがひっくり返ったなぁ。

しばらくメインランドから遠ざかっているけれど、思い出せばきりがないほどたくさんの記憶。出会ったたくさんの人たち。
そんなたくさんの記憶を残した国の一部で生活することになる友人たち。
きっと彼女たちにもたくさんの出会いや出来事がこれからあるはず。
それらが素敵なものになりますように。

木枯らし一号

11月も半ば、東京はやっと今日、木枯らし一号が吹きました。
今年はずいぶん暖かかったので今が11月半ばだなんて気付きもせず、テレビの年賀状のCMで「おや?」なんて思ったものです。

先日友人宅で久しぶりのクスクスを戴いて以来、自分の家でも毎日のようにクスクスばかり食べています。圧力鍋で炊いたふっくらしたお豆(今回はひよこ豆)のシチューとクスクス。圧力鍋が来てからというもの、我が家の食卓は私好みのゴロゴロ野菜の煮込みが圧倒的に多くなりました。なんと言っても調理が早くてすみますし。

そんな同じものばかり食べているあまり身体に良くない食生活の合間の今日、8月に生まれた友人の子供とその母である友人に会いに、皆で集まりました。
中学で出会った私たち。大学を卒業して皆が社会人となっても、月に一度は会っています。それを久しぶりに会った友人に指摘され、改めてそれが貴重な関係だと気付かされました。

初めて出会った彼女の赤ちゃんは、あまり泣かない、笑顔の多いしっかりした顔立ちの男の子。これからが楽しみです。健康にどんどん大きく成長してほしいな。
こうやって私の周りも母親になる友人が増えてゆくのでしょうね。
皆に抱かれてもずっと笑顔でかわいかったな。

最近周りは寿ラッシュ。おめでたいムード満載で私も自然と顔がほころびます。
こういう幸せを分かち合えるいい関係が築けたことも幸せのひとつです。
私は未だ当分先でしょうが、こういうものは縁のもの。
いつどんな縁が訪れるともわかりませんが、いつでも自分の動きたいときに動けるよう、身軽に、フットワークを軽くして生きていたいものです。

机の乱れや部屋の乱れは心の乱れ。
頭を整理して、荷物を整理して、私には無理とはわかっていながらもスーツケースひとつで生きて行けるよう、いつも準備万全でいようと思うのです。

花の名



今日は用事があって昼の六本木をうろうろ。
朝から何も食べていなくて、そのまま夕方になってしまったため力が出ずふらふらとガレットを食べにゆきました。私以外誰もいないそのお店(ランチを4時過ぎに取る人はそうそういないか・・・)のテラス席でのんびりシードルとガレットをいただきながら高層ビルの間の夕日を眺めました。

中途半端に時間もあるし、ふと映画を見る気になって六本木ヒルズの映画館へ向かってみると、うーん、好みの映画がない。でも東京の夕日も見たし、というこじつけで「ALWAYS 続・三丁目の夕日」を観ることに。

少し早く着いたので、外の景色を見たり館内をうろうろしたりして時間を潰していたところ入場案内のアナウンスが。
「ALWAYS 続・一丁目の夕日を御覧のお客様に・・・」
耳を疑いました。そんなのありですか?と吹き出しそうになるのとなんだか嫌な予感の両方で戸惑いつつ席につきました。

開始直前でどんどん人が増えて、私の両隣の席も埋まりました。
右隣には映画の子供たちと同じ時代を生きたんだろうな、という年代のご夫婦らしき方々。左には私と同年代の方々。

お隣が埋まったときから嫌な予感がしていました。
到着早々、「暑い、暑い」をヒルズ中に轟き渡るかのような大きな声で連発する右隣のおじさま。予告が始まっても彼の声の大きさは変わることがなく、本編の始まりに合わせて変化が起こることに一縷の望みをかける私。
そして、儚くも、私のささやかな希望は砕け散りました。
画面に映る看板などの文字は「松の湯だって」などと全て読み上げてくれ、細部の描写などに毎回自分の子供時代と比較した感想を事細かに、声高に説明しています。何度か静かにしてくれるようにお願いしようかと思いましたが、この映画は周りとのつながりを温かく感じる映画、私もそんなつもりですこし広い心を持っておじさんを気にせず映画に集中、なんて思ってみるものの先を予測し勝手に台詞を言ってみたり(結構外れる)納得がいかない流れでは「この話、嫌いだよ!」と大声をだすおじさんにホトホト疲れ、現実世界に留まったまま話はエンディングへ。
そんな弱った私に追い討ちをかけるかのごとく左隣からは足踏み攻撃。何度かわしても追って来る足踏み。ちょっとへこみます。素足を踏まれるのって結構哀しい気持ちになります。
ようやく足踏みもおじさんの大声もなくなったのはエンディングの曲が流れ出した時。
初めて、映画の世界へ入れた気がします。
エンディングはBUMP OF CHICKENの「花の名」。とても素敵な曲だと思います。
私をおじさんの家の居間から夕日町三丁目へと呼び戻してくれた歌となりました。
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チビ



この子の名をチビと言います。
見たまんま、小さいからでしょう。お隣さんのおうちの猫ですがだいぶ、家の家族にも懐いています。
もう一方のクロの素直な甘え上手な性格とは違い、ちょっと不器用でなかなか自分から甘えに来れない性格のこの子ですが、毎日かわいがっているうちに慣れてくれたようで気がつけば近くにくっついてくるようになりました。
お母さん猫から離され捨てられていたというこの子たち。
きっとまだ甘えたい盛り。うんと甘えてくれたらいいと思います。
心から伝えれば言葉がなくてもこちらの気持ちも伝わるんだな、と実感したのでした。

夕焼け

見とれてしまって写真も撮り忘れたけれど、綺麗な夕焼けでした。
私がいた場所から見えた空の色は、珍しく赤みのない夕焼け。
ブルーからライムへのグラデーションのすっきりと澄んだ空でした。
気持ちもすっきり洗われる感覚。脳が切り替わる感じがします。
この夕焼けを愉しみながら、なんだか何の計画もない旅に出たくなったのでした。

骨抜き



すっかり骨抜きで、他のことが手につきません。
最近はだいぶなついて来て、喉を鳴らしながらお腹や胸の上で寝たりします。
かわいい・・・

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